他人の評価

2003年7月14日
気になる。特に人間として尊敬している人のそれとなると大いに気になる。好かれているか嫌われているか、何にせよ評価されているかけなされているか。嗚呼、それが人の性。

何が言いたいか。
氏に、認めて貰えているのかと。高校生という、子供だとしてもそれでも人間として間違っていないのか、学徒として正しいのか。氏以外の人に誉められたり評価されたりしても、その人の勉学、理念の面における哲学のようなものが気に入っているかどうかが私の中での喜びを大なり小なり左右する。私は基本的に大人の話を聴く。聴くことで人間としての進歩発達を望む。また、例え一つでも人の方が経験者だと思えるならば頭の隅にはそのことを留めおく。それが一種私の理念、哲学である。

だから回りくどいんだって。

氏に、私の知らないところで誉められたらしい。本当かどうかは謎なのだが。少なくとも纏めたノートは評価を受けているらしい。自分が理解できるように書いたものを他人に評価されるのは嬉しい。
姉として十数年育ってきた分、年上の人に可愛がって貰えるととても嬉しい。兄のようであったり、姉のようであったり。

で。本当は何が言いたいかと。

別に十時半まで残って喋っていても良いでしょう。

嘘です。ごめんなさい。気を付けます。今日も一時間近く立ち話してしまいました。本当に申し訳ないです。私の話が楽しいと思っていただけるなら幸いなのですが。
だから私を癒してくれる人には幸せになって欲しいと、そう素直に思う。
疲れていたら、言ってくださいな、氏。

って見ている筈無いし、見ていないでほしいなあ。ははははは。

色々と辛い今現在ですが、勉強が楽しいので。いいかな、と。

人としては危ういものです。
遂に変態の仲間入りか、な。嫌ですが。

学校。は、もういいや。どうでも。荒んでいますから。私も。
何で塾は楽しいんだろうか。そんなものか。束縛されないから。

何はともあれ、学ぶことが多くて本当に嬉しいです。吸収できたらばもっと楽しいのではないのかと思います。大数の新スタンダード演習一問完答できたし。

進歩できるのは楽しい。楽しめないならば学ぶな。何となく、で大学に行くな。曖昧さは後悔を生む。

なんて格好をつけておりますが、今本当に勉強が楽しいのですよ。全て。ああもっとやりたい。時間が欲しい。万歳円振り子。

本日の後奏曲
『カナリヤ鳴く空』(東京スカパラダイスオーケストラ)

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